明日のこと

さて、私は明日のクラスマッチの競技が一つ、ドッヂボールに出場することになった。敵を知り己を知れば百戦危うからずという言葉に則って敵について調べてみた。

ドッヂボール虚説

ドッヂボールの起源は思ったより古く、14世紀中期のアフリカ西部(ガーナ辺り)が発祥である。当時(私が知らんだけだが)とある部族の子供達の間で「ンレツーデ・イーロイ(Nlezhude e roui、内気な妖精という意味)」と呼ばれる鬼ごっこのような遊びが流行っていた。これは鬼役の一人がその目印として木の実を持って他の人を追いかけ、捕まえた者に木の実を渡して役を交代するという遊びであった。
ある日、なかなか鬼役を脱することが出来ない子供がやけになって木の実を子供に投げてぶつけて「木の実を渡したから交代だよ!」と言った。大らかな子供達はそれを取り入れ、とりあえず木の実を渡しさえすればいいことにして遊びを続行したが、一つの問題が生じた。一つは木の実が小さすぎて地面に落ちたときに探すのが大変だったこと、そしてもう一つは木の実が軽かったために当てられた子供が気付かないことがしばしばあったことだった。
そこで部族の中でも裕福な子供が使い古しのなめし革の袋を持ち出して枯れ草を詰めて木の実の代わりとして使い始めた。今で言うボールの原型である。
このボールを使ったンレツーデ・イーロイは子供達の間に広まり、広く遊ばれるようになった。
いつの世にも遊びの輪に入りきれず疎外される子供というものは存在し、ンレツーデ・イーロイを遊んでいてなかなか相手にされない子供が耐えかねてこう言った。

「全員で遊べるようにしようよ」
そのようなわがままを無条件に通るはずも無かったが、その子供は遊びに混じれない間や、夜寝ながら色々と代替案を構想していた。それは以下のようなものだった。

  • 一人一人が標的だったのものを2つのグループに分ける
  • 鬼役になった人はグループから外れて行き、グループ内の人が居なくなった方が負け

しかしこのルールを取り入れて真っ先に狙われたのは先の子供だったことは言うまでも無い。


ゲームが終わるまで結局指をくわえて見ているしかなかった外野だが、最初に外野となった子供の方へそれたボールが飛んで行き、我慢できなくなった子供が内野の方へボールを思い切り投げた。それを見たチーム戦ルールを提案した子供は新たにルールを付け加えた。

  • 外野に出た者は内側の者をアウトにすれば復帰できる

その子供はこのルールのボール遊びを「ンレツーデ・イーリター(Nlezhude e ritar、陽気な妖精という意味)」と名づけた。より長く遊びたいと願った故のルール追加が、今のドッヂボールの原型となったのだ。
この遊びのスポーツ性に大人たちも魅了され、子供の比ではない情報伝達手段を持つ大人たちに広まったことでンレツーデ・イーリターはよりポピュラーなスポーツとして昇華したのだった。

おわりに

疲れた。無駄な労力、想像力、ありもしない作文力を絞りに絞った。けれど結局のところ「ホラをふく」ことに対する熱意が私をここまで突き動かしたのだろう。



・・・まぁ、うそです。一応。